みなさま、こんばんは。
おすずです。
皆さんは、「日本初のキャリアウーマン」をご存知でしょうか?
愛知県名古屋市で生まれ、昭和から平成の時代を切り抜け、日本人初のキャリアウーマンとなった『瀧田あゆち』さんをご紹介します。
彼女が切り開いた道
現在の令和の時代には、女性が社会で活躍することが普通になりつつありますが、
戦後の日本では、女性の社会進出ができておらず、珍しいと言われる時期でした。
東京大が女性に門戸を開いたのは終戦後、1946年です。初年度の合格者は十九人、全体の2%にすぎません。その五年後、愛知県常滑市の旧家に生まれた瀧田あゆちが赤門をくぐりました。
父 英二は廻船問屋や織布業を営んだ瀧田家の第八代当主。著書「常滑史話索隠」を残すなど歴史や文化にも通じ、東大文学部に在学中、「日本の映画女優第一号」とされる花柳はるみと大恋愛に落ちます。あえて労働着の「ナッパ服」に身を包み、腕時計は足に巻く。大正ロマンを身にまとうようにして銀座を闊歩(かっぽ)した女優は英二と結婚し、1930年に引退。長男 文彦(元東大教授、仏文学者)に続いて授かったのがあゆちでした。
東大法学部に進む前、16歳のあゆちは、愛知県立第一高等女学校(現明和高校)の同級生に胸の内をつづっています。
「運命に従わねばならないのが私たちなんですかしら? そうとは言い切れないように思っています。運命は与えられるもの、そして切り開かれるもの」
心(しん)の強さと人生への覚悟を感じます。
日航初の女性管理職に
1955年、国際線を開設したばかりの日本航空に入社します。「男社会」を生き抜く才知にあふれ、努力も並大抵ではなかったと想像しますが、当時の部下によると、常に凜(りん)とし、とにかく交友関係が広かったそうです。ワインやオペラ、能鑑賞など多趣味で、男性にこびず、上司や仲間と毎晩、政治や経済を論じたといいます。後輩女性たちはリーダーと慕い、後に続けと意気盛んだったそうです。
1982年に日航初の女性部長に昇進し、新規路線の就航など政府や海外との折衝に明け暮れます。週刊誌や女性誌に「輝くキャリアウーマン」として何度か取り上げられたようです。1990年に日航財団(現JAL財団)常務理事に就任したあゆちは海外の若者らを招いたり、日本文化を伝える事業を展開。晩年は運輸(現国土交通)相の諮問機関、運輸審議会の委員も務めました。
中部国際空港が開港する一カ月前の2005年1月、この世を去りました。高度成長期の日本と歩んだ72年の生涯でした。働く女性を支える社会づくりを訴える一方で、自身は、結婚や出産、子育てを選ぶ余裕はなかったとやや残念そうに振り返っています。
常滑に空港ができると決まったとき、語っています。「情報網が発達して用が足りてしまえばしまうほど、できるだけ人と人が実際に会って、顔を見て、生の声を聞いて、握手して、触れ合うことが大切」。コロナ禍の今、その言葉には一層深みがあります。
女性の、しかも非正規の就業が多い飲食や宿泊業を直撃し「女性不況」と言われる現状を、あゆちなら、どう語るでしょう。社会の壁は女性に依然高く、男女格差の指数で他国の後塵(こうじん)を拝したままの日本をどう論じるでしょうか。
逆境に負けない母と娘
あゆちの母、花柳はるみは瀧田家に嫁いだ後、1962年に亡くなるまで表舞台から完全に姿を消します。引き際の見事さにひかれ、東京新聞の名物文化部記者だった尾崎宏次は関係者を訪ね歩き、彼女の素顔に迫った唯一の記録とされる「女優の系図」を上梓(じょうし)します。
華やかな世界から地方の旧家に移り住んだはるみの辛苦は想像に難くありません。めったに人前に出ず、子どもにひたすら愛情を注いだようです。逆境に負けず、己の人生を切り開いた母と娘。あゆちは尾崎の取材に「母の助言」で東大法学部に進んだと明かし、「『女は法律を知っていないと不自由だよ』と言って、励ましてくれました。女優の社会的な地位がまだ低かった時代に痛感したことを、私に伝えたかったのかもしれません」と答えています。
歳月は流れ、あゆちのことを知らない人も増えました。一家が暮らした旧家は「廻船問屋瀧田家」として一般に公開されています。あゆちが生まれ、九十年を迎える今年。その足跡をたどる企画展示が日本福祉大知多半島総合研究所の主導により、二月下旬、瀧田家で始まります。
https://www.chunichi.co.jp/article/394217
↑中日新聞を引用しています↑
現在(2023年1月)は「廻船問屋瀧田家」の一般公開が続いています。
実際に行ってみて、初めて知った人物でした。
日本は世界的に見ると女性の社会進出が遅れていると言われています。
10年前の日本と今を比べると断然女性の社会進出が進みましたが、女性管理職の数はあまり多くありません。結婚も出産も経験できずにキャリアだけを求める時代ではないと感じています。
男性の育休も進んできましたが、まだまだ女は家のことをやっていればいいのような考えが根強く残っています。自分のやりたいことが全部できるようになるにはまだまだ遠いかも知れません。
それでも少しづつ考えが変わっていくことを受け入れていく。
多くの考えが存在していていいんだと受け入れてくれる世の中になりますように。
瀧田あゆちさんの輝かしい功績があるからこそ、今私も仕事を貰えているのかも知れませんね。
今ある環境が素晴らしいものであると改めて感じさせていただきました。
今日も一日お疲れ様です。
また明日から自分のできることをやっていきましょう。
それでは次回の投稿でお会いしましょう!!
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